Talk with Kamei

お好み焼き屋さん2015年6月1日


◆子供の頃の食事-part3◆

最近、街の中から“お好み焼き屋さん”が減っている。talk_okonomi
それもおばちゃんが一人でやっている鉄板一枚きりの“お好み焼き屋さん”がである。

先日、中学時代の同級生がやって来て「なあ、かめ!子供の頃の“お好み焼き”って1枚
10円だったよな~」と言って来た。
え~!そんなんだったかな?
彼は一緒に来ているかみさんの親父さん(たぶん昭和一桁生れ)から
「そんなに安くはない」などと言われ、私に聞いてきたのだ。
昭和42~43年頃、お好み焼きの値段って幾らだったんだろう?

実は私は“お好み焼き屋さん”マニアでもあるのだ。
当然この頃の町にある“お好み焼き屋さん”は制覇していた。
はずなのだが‥‥値段は覚えていない。ホームランバーは5円、コロッケ1ヶ8円ハムカツ13円、うちの並寿司が400円だった頃、“お好み焼き屋さん”のお好み焼きは幾らだったのだろう?

小学校から帰ってくると、カバンも放り投げて公園に走っていった頃、
“お好み焼き屋さん”には “サト焼”なる物があった。
これは練った小麦粉を薄く鉄板に広げ、上から上白糖をぱらぱらと振掛けて焼いた、一種のクレープのような品物だった。美味かったな~
あと、良く家から玉子を持ち込んでいた奴もいたな~。
あれで安く上がったんだろうか? 今となっては知る術もない。

私は大人になってからも“お好み焼き屋さん”マニアであり続けた。
車道の“後藤商店”はもうない。“武馬屋”はまだ健在、 三河屋、びっくりなどなど、この辺りは
“お好み焼き屋さん”のゴールデントライアングルであった。

筒井町の“餅芳”は私がとても贔屓にしていた店で、和菓子職人の帽子をかぶった小父さんがここの主人公であった。機嫌のいい時は、スチュワーデスの娘さんだか、パイロットの息子だかの自慢話を良くしていた小父さんも、たぶん80手前で天国に召された。
扉は閉まったまま餅芳はまだその場所にある。
社員食堂のように毎晩でかけていった、大切な店でもあった。

そしてマイフェバリットで子供の頃から通った名古屋市民会館東の“米田さん”もやめちゃった。
ここのおばさんは店に入ると、決まって「ちょうどええとこ、ちょうどええとこ、」と言って空いてもいない鉄板の片隅を無理やり空けてお好み焼きを焼いてくれた。
亡くなった母に連れられて、子供の頃から通いつめた店である。最後に行ったのは40を少し過ぎた辺りだったか。

円道寺には“太陽堂”だったかな?あと主税町小学校の南にも○○○屋という“お好み焼き屋さん”が今でも頑張ってやっている。

だんだんふらっと行ける様な“お好み焼き屋さん”は消えつつある。
そんな中、お持ち帰りで安くて美味い店は中村区の笈瀬通りにある“一茶”だ。一度お試しあれ。