Talk with Kamei

昭和40年代“うなぎの尻尾”2015年6月1日


◆子供の頃の食事-part2◆

前回から書き始めた子供の頃の食卓を思い出していたら、次々にいろんなことを思い出してつい笑い出してしまった。
前にも書いたとおり家は商売屋で、家中の大人たちは一日中忙しく働いており、子供の世話どころではなかったろう。そんな中でいろんなエピソードがいくつもあるので、あの当時のほかの家の人と比較していただくと面白いだろう。
とりとめもなく思い出したものから綴っていくことにしようと思う。

◆うなぎの尻尾◆
うちの寿司屋には寿司の他にも名物があってそのひとつが「うなぎ丼」
店売りの他に出前もしょっちゅう出るので余程評判が良かったのだろう。
当時の我家のつくりは変わっていて、表から見ると2階建てなのだが、裏に回ると3階建てになっている。要するに坂道に立っているのだ。
そのちょうど1階に当たるところ(表から見ると地下1階)に庭がある。といっても隣の店がベアリングやさんで事務所しかなかったので、裏が空き地になっていただけで、実はれっきとした他人の土地なのである。
いつも一人遊びを余儀なくされている私のとっては我が家の中で最大限の自由空間であった。
なんと人の土地であるのに、犬は飼うわ、洗濯物は干すわ、ガキは遊びまわるわ、うなぎの骨は焼くわ、ごみは燃やすわ。いったい誰の土地だか?
ベアリング屋の○○さんごめんなさい。 <(_ _)>
その庭に水道があり、丸い大きなざるの中に生きたうなぎがうじゃうじゃいて、それをいつもつついて遊んでいた記憶がある。冷凍の紋甲イカなんかもそこで溶かしていたよな~。
夕方忙しくなってくるとそれまで一人遊びに忙しかった私もさすがに腹が減ってくる。
「おなかすいた~」とおばーさんに言っても、お袋さんに言っても当人はそれどころではない。
それでも、めしめし!といい続けるあまりにうるさい私に「うなぎのたれでも掛けて食っとけ!」と通りがかった爺さんが言い放つ。
仕方がないので丼ご飯を自分でついでいると、忙しいはずのお袋さんが「ご飯はもっとふっくら美味そうにつけないかんがね!」と注意!(後からこの記憶は大変役に立っていて、うちの若い職人がだだくさにつけていると注意しまくっている。)
やっとのことで丼ご飯にうなぎのたれを掛けて「さあ」と一口。~物足りない。仕方がないのでもう一口。やっぱりなーって感じで周りを見渡すと、無人のまな板の上になにかのっかているではないか!うなぎが残ってる!喜び勇んでまな板に近づいてみるとそこに横たわっているのは真っ黒に焦げた「うなぎの尻尾」。焦げてるなーと思いつつご飯のうえに乗っけてパクリ!
まだ発がん性なんてものに無頓着な時代。正直うまかった。